小中華思想(しょうちゅうかしそう)とは朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種であり、自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。この「文化」とは儒教文化のことであり、中華文明への同化の程度によって文化の高低が判断されるものであった。
小中華思想の元となった中華思想は儒教に裏付けられた漢民族の文化優越主義から始まり、地理的世界観、政治的世界観も併せ持つに至る。中華思想の基で中国王朝は周辺諸民族を他者化(自他の区別をつけるもの)し、夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)と蔑む一方、冊封体制(事大朝貢体制)によってその世界観を具現化し、また同時に夷狄の教化に当たった。
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中国王朝のこうした世界観は周辺諸国では否定的に受け取られることが多く、ベトナムでは対外的君主と国内的君主を分離した上皇制度を導入し、皇帝がその諱(本名)を知られて中国皇帝の臣下として扱われるのを避け、皇帝が早い段階で後継者に皇位を譲って太上皇(上皇)となり、宮廷内の最高意思決定と中国皇帝に対する朝貢を行い、内政一般など国内の政治は皇帝が担当していた。このため、中国への朝貢は上皇が「国王」を名乗って行っており、中国正史とベトナムの正史が伝える国王の在位にはずれが生じているといわれている。また日本でも聖徳太子の書「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」、あるいは南北朝期の懐良親王が明の太祖からの朝貢を促す書簡を無礼と見なし、使者を斬り捨てたことに表れるように、中華中心の華夷観を否定し対等外交を志向する向きが強かった。